ちょうど二週間くらい前に引越しました。学校はめちゃくちゃ遠くなった代わりに、新生活はなかなかの暮らしぶりです。部屋は広くなったし、近所の住人はどうやら同年代の子ばっかりだし(まだろくに話したことはないけど)ベッドはデカいし、そしてなんと言ってもあなたとの距離が少しでも縮んだのですよ。嬉しいじゃありませんか。
通学時間が長くなったし、今後は電車の中とかで更新するかね。
たつや@メールが来たみたい
謎の日記休暇をとってしまってから早三ヶ月くらいでしょうか。どうも日記の日付を見る限り、原因は単なる恋煩いなんじゃないかと。読めます?こいわずらい、ですよ。ちなみに別に恋煩いが終わったとか、そもそもにして僕の恋愛が終わっただとかそういう事実は一切ないので悪しからず。ほんとたまに一日一回一瞬会うだけで二ヶ月ほど軽く悩めてしまうようなもんなのだから、たちが悪いというか。まあ正直悪くはないんですけどね、私的に。
さてさて、最近はといいますと、クラッシック音楽を片っ端から聞きあさっております。これを書いている横でもベートーベンの熱情が流れております。のだめカンタービレというクラッシックマンガがありますが、それの影響ですね。聞き始めてみたら、これが意外に良い。ウチにはおあつらえ向きといいますか、クラッシック名曲選といった感じの80枚組くらいのCDセットがありまして。有名どころを聞くくらいなら全然困らないわけです。お気に入りはモーツァルト、穏やかなピアノソナタが好きです、特に11番。ヴァイオリン協奏曲とか交響曲29番とかも好きです。最近は音楽好きの某友人の勧めでロンドニ長調なんかにも感銘を受けました。どれも有名どころで良い曲なんで、一度聴いてみてはいかがでしょう。ピアノソナタの11番なんかはいわゆる「トルコ行進曲つき」と言う曲で、誰もが一度は聞いたことのある曲じゃないかと思います。
モーツァルトは眠りながら聞くのにも良いですね。正直超安眠です。こんな曲を200曲以上書いてくれたモーツァルトには感謝の念を示すべきでしょう。反対にベートーベンはかけてると寝られたモンじゃないです。うるさかったり暗かったりで切なくなります。ただそんな僕の一番のお気に入りの曲はベートーベンの交響曲6番「田園」だったりします。これはベートーベンっぽくなくて、なんかすごく明るく上り調子の曲。だって一楽章の名前が「田舎に着いたときに沸き起こる嬉々とした感情」みたいな感じですもん。うろ覚えなんで多少違うと思いますけど。とにかく田園も有名なんで聞けば良いと思います。有無を言わずに聞いてください。
そんなわけで三歳くらいにもどってピアノかヴァイオリンをやりたくなります。なんでもうちょっと真面目にピアノをやらなかったのかを本気で悔やむくらいです。ピアノをやるなら絶対にモーツァルトのピアノソナタ11番とロンドニ長調、ヴァイオリンなら同作曲者のヴァイオリン協奏曲5番とかやりたいです。まあ夢の話だったりするんでなんとでも言えちゃうんですが、でもあんなの弾けたらかっこいーですよね。
そんなわけで、近況的なものでした。普段音楽についてあんまり書かない僕にしては、今回は珍しい雑記なのでは、と。というか未だにここを見てくれてる方には最大の感謝と謝罪を。たまにちょくちょく書かなきゃだなあ……。
たつや@コジファントゥッテ
なんて飽きっぽいなんて根性のないなんて情けない。
明けない夜はない。北半球の白夜だって、百幾日周期で朝を迎えて、また闇に閉ざされる。そうその通り。つまりは闇に閉ざされない朝はない。だからなんだと言う話だけれども、これはなかなかに重要な事実ではないだろうか。
僕らがずっと信じ続けていた希望は、その数瞬後に淘汰されるためにそこにある。その後に待ち受ける闇もまた淘汰される。プラスマイナスゼロ、全てはこれに還元されるべく存在する。
だからなんだと言う話だけれども。
だからなんだと言う話だけれども。
だからなんだと言う話だけれども。
この手に残るものがない。他人以上になにかを継続する根性がない。
なにか欠陥しているのではないかと思うくらいに、僕に残るものがない。
最初から持っているけれどもそれを引き伸ばせない。他人に追い越される。置いていかれる。それを笑ってみているだけで、僕には何もできやしない。
それでも明けない夜はない。
そんな僕にも幸せが手に入る。
何も持っていない僕に、みんなが何かを分けてくれる。
人を騙すと、喜んで騙されてくれる。
好きだと言うと笑ってくれる。
笑わせようとしてくれる。
話をしてくれる。
殺さないでいてくれる。
それなら僕は何ももっていないけれど、実は何もいらないんじゃないかって、そう思う。
明日も何も持たずに、笑って生きていこうと思う。
たつや@何ヶ月ぶりだよおい
一つ一つの選択が、人生を決める重要項目。人生は、すべての選択の集大成。選んで捨てて引きずりあげて、不選択すら選択で、やってらんないように見えて楽しい人生大事な人生!
基本的に、待つことと我慢することは得意なのです。待ってる事が無駄な事だろうとそうでなかろうと、待ってる時間ってのは別に苦痛じゃないのです。多分、待ちたいものしか待たないからだろうと思います。考えて見れば、待つものがあるというのは素晴らしいもので、それは待つものすらない人よりは遥かに恵まれているのです。例えば、彼女の長い買い物に付き合わなきゃいけない人が、彼女のいないひとより恵まれているように。(まあ一概には言い切れないが)
だけどなぜか待たせるのは大嫌い。心がチクチクするのです。待っててくれると言うのに、決して待たせたくないのです。待つのだったら、俺のことを忘れてくれ、なんて。忘れないでいたいと言ってくれるから、待っててくれるのに。
嫌なことを強要してんなあ自分。結局待てないのは相手ではなく自分のほうで。待っててくれる人がいるのなら、僕はその人から絶対離れたくないだけで。待たせることに堪えられないのじゃなくて、待たせてる人を待ちたくないだけ。あれ。おかしいな、待つことは得意なはずなのに、ね?
たつや@見えない未来
ただ一つ言える事は、ハツカレ面白いかもってことだけでありまして。
おそらく俺は、条件さえ揃えば男にだって恋できる人間だと思う。これは冗談とかじゃなくって、本気な話で。女がだめってわけじゃないから、両刀遣い、つまりはバイに属する人間になってしまうんだと思う。実際、男が好きで好きでしょうがなくて、告白したりとか、されたりだとか、そんな体験があるわけじゃない。ただ、正直なところ、男が男と仲良くしてるところに、嫉妬心を抱くことはある。
俺が思うに、誰かを愛していることを一番実感するときは、嫉妬心を抱くときだと思う。少なくとも俺はそう。好意的じゃなきゃ、嫉妬はしないだろうし。特にその嫉妬の原因が異性である場合、俺は必ず、好意的なんてレベルじゃなくて、その子に恋している。かっこ悪いくらいに、やきもちを焼いてしまう。でもかっこ悪いくらいに嫉妬してしまうのを分かっているからこそ、それを強く抑えつけて、素直じゃない態度をとってしまう。下手に取り繕うのが巧いと、それこそナチュラルに嘘をついてしまっているようなもので、本当の気持ちが伝わらない。
さて、問題なのはその嫉妬心で、それが異性の場合なら恋で確定なのだが、同性に向けられた場合はどうなのか。男に対してやきもち焼くなんて、普通なんだろうか。はたまたこれは実は嫉妬じゃないなんて答えも考えられる。すべてが未知数で、サンプルなんてなくて、手探りもいいところなんだけど。でもまあ、別にどうだっていいか、なんて。男を想って寝床で悶えるなんてことはないし。それこそ笑えない話だし。まあ僕が好きな人は、女の子なんですけど。
だからまあ、ただ一つ言える事は、ハツカレ面白いかもってことだけでありまして。
たつや@ノーマルです